政治、服、文学

 

それぞれ考えるようになったきっかけ。質問への回答です。

 

政治

学部1~2年のときに同世代のSEALDsの活動がやたら目障りで、一方で野党が懸念しているようなことが実際に起こるとしたらそれも怖いなと思って色々調べてたら知らぬうちにそれが日課になってました。

ただ、国際政治について一国民ができることは限られてるので、もうあまり興味を持たないように努めています。

国内政治、特に人権問題については偽善者と呼ばれても冷笑主義にはなりたくないなと思っています。憲法にはそれについて言及されていて、あとは僕ら個人の考え方の問題なので。

 

母親がアパレル関係の仕事をしています。僕は別に母から影響を受けたりはしていないと思ってたけど、なんだかんだ小学生の頃から服が好きだった気がするのは母親の影響なんでしょうかね〜。

当時はGUとかUNIQLOとかなんだけど、毎回すごく悩んで選んだりチラシを眺めていました。その後も年齢相応のブランドとかを同じような態度で眺めていてモードとはあまり縁のない生活をしていたんですが、2年くらい前に街で見かけた服に直感的に感動し、1ヶ月くらい経ってからそれがvetementsってブランドの服だと知りました。以降、同ブランドのデザイナーのデムナ・ヴァザリア(今はBALENCIAGAのデザイナーでもある)を敬愛しています(着てはいません)。

 

文学

小学生の時に伊坂幸太郎の本にハマってそればっかり読んでました。中学生の頃、当時のベストセラーだった村上春樹の「1Q84」を借りてみて、なんとなしに読み進めていたところ当時の国語の先生に「何エロ本読んでんだ!」と馬鹿にされ、べつにプロットが面白かったわけでもないので読むのをやめ、また娯楽小説ばかり読んでました。

高校は伊坂幸太郎の卒業したところを選びました(同じ偏差値帯のところがいくつかあったんですが、決め手がなかったので)。高校の時はあまり本は読まなかったんですけど(伊坂の新刊待ち)、藤谷治の「船に乗れ!」は進路についてかなり悩んでいたときに読んでそこそこ心を揺さぶられました。あと当時、村上春樹の「海辺のカフカ」を読んだんですけど、よくわからなかった。でも全部読みました(僕はつまらないことはすぐやめるタイプです)。その時はまわりに水を指すような人はいなかったから。

大学に入ってすぐに、仲良くなった岡田君に勧められて村上春樹を読むようになりました。何がいいのかはよくわからないけど読み終えることができて、その頃には読む前の自分と比べて何かが変わっている、そんな感覚に魅了されていたんだろうと思います。

そこからわりとのめり込んで、芥川賞作品をつまみ食いしたり、村上訳の英米文学作品を読むようになりました。

 

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政治はともかく、服や文学は、感覚的な興味から体系を知るところまでに大分大きな間があって、それについて考えたところでどうにもならないとはわかりながらもすごく後悔しています。一方でそれについての根源的な興味があるから、それを知ろうとこの歳になってから努めるのはまったく苦じゃありません。

それと、僕は「体系」というものが好きです。言語化出来ないような繊細な領域に到達するためだったとしてもグリッドを根本において考えることが大切だと考えていて、それは学問の基本理念と重なるのかなと思います。